ドラッカーはマネジャーが担うべき仕事について、
どのように語っていただろうか。今回はそのところを見てみたい。
「マネジメントの働きを妨げる間違いの第二に、
仕事とはいえない仕事、つまり補佐の仕事がある。」(『
マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
(※ちなみに「第一の間違い」は、VOL.107でご紹介した「
仕事を狭く設計し、人が仕事で成長することを妨げること」。
https://www.keieisha.jp/features/drucker/vol-107
)
マネジメントの仕事には目的、目標、役割がなければならず、
明確な貢献ができるもの、
責任ある存在となれるものでなければならいとドラッカーは述べる
。
しかし補佐の仕事には、直接貢献できることがない、と。
「上司が必要とすることや、
上司への売り込みに成功したことをするにすぎない。
そのような仕事は、人を堕落させる。
誰かの側近であることを利した人形使いとなるか、
自ら誰かに取り入るご機嫌取りになるしかない。」(『
マネジメント–-課題、責任、実践』)
なかなか強烈なものの言い方だ(苦笑)が、
ドラッカーはサポート業務や秘書業務を否定している訳ではないと
思う。あくまでも、
マネジメントにあるものがそうした仕事をして、
貢献と思ってはいけないと指摘しているのだ。
日本的なYESマン管理職、あるいはそうした幹部を従えている、
作っている経営者には、非常に耳の痛い話ではないだろうか。
「補佐という職務は、その任務が明確に規定されているならば、
若手のマネジメントにとって優れた訓練となる。
ただし期間は限定する必要がある。
一定期間の任務を終えたならば、
マネジメントの仕事に戻してやらなければならない。」(『
マネジメント–-課題、責任、実践』)
マネジメントにあるものにとって、直接、顧客、外部への責任・
貢献を持たない職務を持ってはいけない。ありうるのは新任、
若手マネジャーの教育期間に限定して、ということ、
まずは改めて認識したい。
次にドラッカーが述べているのは、いわゆる「
プレイングマネジャー」たれということだ。
「間違いの第三は、
マネジメントが自分の仕事をもたないことである。」(『
マネジメント–-課題、責任、実践』)
もしかしたら、ここで「え?」と思った読者も多いのではないか。
「マネジメントとは仕事である。しかしそれは、
マネジメントがすべての時間を費やすほど時間を要する仕事ではな
い。マネジメントの人間の仕事は、
マネジメントの仕事と自分の仕事の二つからなる。
マネジメントの人間とは、マネジメント兼専門家である。」(『
マネジメント–-課題、責任、実践』)
「マネジメントの人間とは、マネジメント兼専門家である」、
これはしっかり受け止めておきたいところだ。
マネジメントとは、その担う事業、
職務のプロフェッショナルであり、かつ、マネジャーなのだと。
1973年に書かれた本書で、ドラッカーは明確に、
マネジャーとは「プレイングマネジャー」
であるということを明言していたのだ。
なぜドラッカーはこう言ったのか?
「充分な仕事がないとき、
マネジメントの人間は部下の仕事をとってしまう。
権限を委譲してくれないとの苦情のほとんどは、
上司が自らの仕事を充分もたず、部下の仕事をとるために生ずる。
いずれにせよ、仕事をもたないことは耐えがたい。
特に働くことが習慣となっている者にとってはそうである。
やがて働く感覚を忘れ、尊さを忘れる。
しかも働くことの尊さを忘れたマネジメントの人間は、
組織に害をなす。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
かくしてマネジメントは、単なる調整者・管理者ではなく、
自身が自らの直接的役割を持ち仕事をするプレイングマネジャーで
なければならないのだ。
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