ドラッカーは、人が(特にマネジメントが)
働くことにおける根源的な部分として、
いわゆる内発的動機を常に重視している。
「今日の社会においては、仕事は生計の質以上のものを意味する。
人は、仕事に誇りと自己実現という金銭を超えた満足を求める。
したがって、マネジメント教育とは、
仕事を生計の質以上のものにすることであるといって過言でない。
それは、働く者が自らの能力をフルに発揮できるようにすること、
すなわち仕事をよき人生にすることである。(中略)
そして何よりも、マネジメントとしてだけでなく、
人として成長することができなければならない。」(『
マネジメント–-課題、責任、実践』、1973年)
ドラッカーはまた、マネジメントは育つべきものであり、
生まれつきのものではない、と断言している。(勇気が沸く話だ。
)
だからこそ、我々は、明日を担ってくれるマネジメントの確保、
育成に体系的に取り組まなければならないのだ。
「運や偶然に任せることは許されない。」(『マネジメント–-
課題、責任、実践』)
この確保と育成の体系について、おそらく皆さんは、「あれ?」
と思うのではないかということを、ドラッカーは述べている。
それは、40代を過ぎたところでの、転職や独立の勧めだ。
どういうことか?
実は、知識労働者にとって、
仕事に満足を求め刺激を求めることは、強みでありながら、
弱みだとドラッカーは言う。
知識労働のマネジメントは、生計の質を求めるだけでなく、
成長や人生を仕事に求める。
しかし、
一つ所で同じ職務の延長線上を15年も20年もやっていれば、
知らないことはなくなってくる。
30代に入った頃には新鮮で刺激的だった仕事も、
それから15年経った40代半ばには退屈なものとなっている。
このため、知識労働者は、組織にだけ依存し、
組織での次の昇進を心待ちにし、
組織にだけ新しい仕事を期待するのではなく、
自らの人生は自らの手で作れるようにすることが、
自らの務めであり、組織への務めであるという。
これを企業は支援する仕組みが必要だということだ。
「20年も同じ組織で同じ分野の仕事をしてきた者が、別の仕事、
あるいは少なくとも別の組織、別の環境で新しい挑戦、機会、
貢献を手にすることができるようにしなければならない。
もはや今日では、このような機会の用意ができていないかぎり、
自分自身、自分の家族、
自分の働く組織への責任を果たしているとはいえなくなったとさえ
いってよい。」(『マネジメント–-課題、責任、実践』)
マネジメント教育が重要な意味を持つにいたった理由、背景には、
このようなことがあるとドラッカーは語る。
さて、では、「真のマネジメント教育」とは、いったい、
どのようなものなのか?
ドラッカーは、マネジメント教育(当時もブームがあったらしい)
には、ばかばかしいもの、エセ物、
流行に乗っただけのものが多かったと言っている。
次回、その辺を見てみよう。
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