■伸びる企業と伸び悩む企業の違い
ドラッカーは、『現代の経営』でこんな事例を紹介しています。
「企業の経営の良し悪しを判断する目安を探せ――」
これは、ある銀行が融資の調査部門に出した課題で、「成長する企業と成長しない企業の違いを見つけ出せ」というものです。銀行は融資をするかしないかを決めるために、その企業がこれから伸びるかどうかを見極めなければなりません。それは銀行にとって重要な課題であると同時に、難しい課題でもありました。なぜなら、利益があがっているからといって良い経営を行っているとは限らないからです。
たとえば、新しい商品やサービスの開発に投資をしていなかったり、優れた人材の採用や人材の育成を行っていなかったり、人員の数を減らしたりして、出ていくお金を抑えることで利益を出している状態かもしれないからです。これは、将来に向けて必要な投資を渋って会社に損害を与えています。たとえ黒字であったとしても、今日の黒字が明日の赤字を生むような経営はけっして良いとは言えません。
反対に、今は利益をあげていなくても、長期にわたって取り組んできた新しい商品やサービスの開発が実り、大きな成果を得る直前かもしれません。
このように、利益があがっているからといって必ずしも良い経営とは言えませんし、利益があがっていないからといって悪い経営とも言い切れません。収支の数字だけでは経営の良し悪しを一概に判断できないのです。まさに、経営の良し悪しを判断する目安を見つけ出すことは難題でした。
この調査部は、膨大な数の企業を調べた結果、一つの目安を発見しました。それは誰もが予想しないものであり、またどんな経営の本にも書かれていないものでした。事実、この発見によって、この銀行の融資の成績は目に見えて良くなっていきました。それは、調査によって見つけた目安を基準に、融資するかしないかの判断を行った結果でした。
調査部が見つけた目安とはどのようなものだったのでしょうか?
答えは、セミナーでお伝えさせて頂きますね。
■すべて事例でお伝えします
たとえば、アップルの創業者の一人であったスティーブ・ジョブズは一見、強力なワンマン経営者に見えます。
しかし、晩年のジョブズが担っていた仕事は、新しい商品を生み出すこととその新作商品の発表だけでした。その他の仕事は当時ナンバー2であったティム・クックが担っていました。経営がチームで進められていたのです。また、マイクロソフトのビル・ゲイツは、技術面と対外活動だけを担当していました。経営全般を見ていたのは、マイクロソフトに入社した人目の従業員で後に社長になったスティーブ・バルマーでした。バルマーは、技術者であるビル・ゲイツにとっての経営アドバイザーという役割を果たし、マイクロソフトを大企業に仕立て上げた立役者です。そして、急成長したスターバックス・コーヒーも創業当初から経営をチームで進めています。「起業家の発想で組織運営はできない」という考えをCEOのハワード・シュルツに叩き込んだのは、経営チームのメンバー、オーリン・スミスです。
起業と経営はまったく違います。「起業とは事業を起こすこと」で、「経営は組織を運営すること」です。組織を運営するためには、大きな仕事を小さな業務に細分し、業務の手順を考え、方法を勘案し、組織をつくり、細々としたルールを決めていかなければなりません。それらの仕事は、起業家タイプの人間にとって、退屈な仕事でしかありません。
「起業家の自分は組織運営を確立する知識はない。組織運営のスキルもない。組織運営を学ぶ気もない」。そう自覚していたCEOのシュルツは、経営チームのメンバーであるスミスに組織運営のすべてを任せて、スターバックスを成長させていきました。
海外で成功している企業の最近のやり方を薦めているかのような誤解を招かないために、
あえて、日本の歴史ある企業の事例をいくつかお伝えします。
松下幸之助氏は、1918年に松下電気器具製作所を創業し、1929年に松下電器製作所と改称、1935年に松下電器産業株式会社(現パナソニック)として法人化しました。
松下氏は体が弱かったため、みんなで経営してもらおうと、1933年に日本で初めて事業部制を始めました。事業部制とは、たとえばテレビ、カメラ、パソコン、オーディオというように製品ごとに組織を分けて事業を運営する形態のことです。松下氏は、事業部ごとに権限と責任を与え、チームで経営が進められる形をつくり、右腕と言われた高橋荒太郎氏に経営改革をすべて任せていました。
キヤノンは、1933年に精機光学工業株式会社として設立されました。当時、社長に就任したのは御手洗毅氏でした。
御手洗氏は社長就任後、社員に対して、「自分は医師出身だ。経営のことはよくわからない。ぼくを騙そうと思えば簡単にできる。しかし、ぼくは君たちを信用する以外にない。この会社を繁栄させていこうと思えば、みんなが誠心誠意やる以外ないではないか」と言い、若手の社員に責任を与えながら、若手とともに経営を進めていきました。
ソニーは、1946年に井深大氏と盛田昭夫氏の2人の創業者によって、東京通信工業株式会社として設立されました。井深氏は開発を、盛田氏は販売を担当し、それぞれが自分の役割を果たし、ソニーブランドを世界に普及させていきました。
1948年に設立された立石電機(現オムロン)は、まだ中小企業だった当時、「常務会」という名の経営チームをつくりました。
常務会のリーダーは常務が務めていました。それまではトップである社長がすべての決定を下してきたものを常務会のメンバーに考えさせ、常務会のメンバーで協議し、最終的に常務が決定を下すというやり方に変えていったのです。
ホンダは、1948年、本田宗一郎氏と藤沢武夫氏の2人の創業者によって設立されました。
本田氏は技術を担当し、藤沢氏は経営のすべてを担っていました。本田氏と藤沢氏が経営の第一線を退いたとき、藤沢氏がある講演で、「社長は本田だったが経営者は私だった」と話して大きな笑いをとり、あとでそれを聞いた本田氏は「その通りだ」とうなずいたという話はあまりにも有名です。
セコムは、飯田亮氏と戸田壽一氏による経営チームによって経営を進めていました。
創業期は飯田氏と戸田氏ともに靴底を減らしながら飛び込み営業に奔走しました。飯田氏は会社の顔で戸田氏は黒子というだけで、ソニーの井深氏と盛田氏、ホンダの本田氏と藤沢氏のように明確に役割分担していたわけではなく、その時々の状況に応じて、役割を決めて経営を進めていきました。
ファーストリテイリングの柳井正氏も「社長がどんなに張り切っても一人でできること
はたかが知れている。経営はチームでやるものだ」と言い、経営をチームで進めています。
たとえ、今は停滞している企業であっても、成長した時期は必ず経営をチームで進めています。
おわかりいただけたとおり、昔の話、最近の話ということではなく、また、海外企業の話、日本企業の話ということでもなく、成功している企業は、経営をチームで進めてきているのです。
■能力を揃えても成果は上らない
大事なことは、「経営チームがあるかないか」ではなく、「経営チームがチームとして機能しているかどうか」です。
ドラッカーはこう言っています。
「組織が仕事をするにはチームにならなければならない。トップが優秀であってスタッフが献身的であるにもかかわらず、チームをつくれないために失敗する組織は多い。優れたリーダーといえども、部下を助手として使っていたのではたいしたことはできない。組織は、一人の人間ができることを簡単に超えて成長する。しかもチームは、自動的に育つものではない。」
では、どのようにして経営チームを構築すればいいのか。
それを
「ドラッカーが教える最強の経営チームのつくり方講座」
でお伝えいたします。