「ふう」。

小雪が散らつくオフィス街。
20:00、会社の隣にある、なんら特徴のない洋食屋に駆け込んだ。

なんら特徴のない洋食屋で、今夜も特段、なんら変わりのない夜を過ごそうと、
残業の合間に、行きつけのこの店でナポリタン、サラダにビール１本の
30分一本勝負の夜食にありつきに来た次第だ。

「いつもの、お願い」。

もはや、顔馴染みなどいう言葉すら陳腐なくらい、
ルーティンとなった、店主とのこの会話。（いや、会話にすらなっていない。）

「はあ」。

特になにということもなく、無目的にスマホ画面でメーラーやら
Facebookやらキュレーションサイトやらを、行きつ戻りつ、眺める。

（「あ、そうか、今日はクリスマスイブか…。」）

街並みはそれ色に飾り付けられ華やいでいるようにも思うが、
その当日という程には季節感を感じないのは、時代の所為か、
あるいは、自分が鈍感になっているのか。

（「早く食って、戻って、22:00までには仕事終わらさなきゃなぁ…。」）

出されたサラダに箸をつけ、手酌ビールをグラスに注ぎ、くっと飲み干すと、
店主が、手早く作られたナポリタンを、無言で目の前に置いた。

わっ。
あ、停電！

店に数名いたお客が叫ぶ。

店の電気が消え、暗闇の中に瞬間移動させられた。
周囲を見回しても、見えるのは自分や他のお客の持つスマホの明かりと
おそらくトイレ脇の壁上あたりだろうに光る非常灯のみだ。
窓の外らしき方向に目を向けても真っ暗なので、この店の問題ではなく
一帯が停電になったらしい。

（「時間がないんだ。」）

ナポリタンに手をつけようと思うが、完全な闇でフォークの行き先もままならない。
スマホのバックライトを皿に近づけてなんとかこなそうと試みる。
これでは、ビールを注ぐのも一仕事だ。

「今夜くらいは、早く帰らないといけませんな」

闇の中から、突然、初老？の男性の声が話しかけてきた。

「え、ええ。はい…。」

「家族が待っていますしね」

（「なんだ、俺に話しかけたわけじゃなかったのか。独り言か。」）

「20年、そんな当たり前のことにも、私は意識が行かなかったのですよ」

「…。」

「家族は誰一人として、私のことなど、家にお金を入れる存在以上ではない。
　そう思っているのだと、長らく思い込んでいたのです」

「…、は、はぁ。」

「昔気質のものなんでね。そう自分で思い込んで、いつからか、諦めていたんです」

どんな人なんだろう、闇の向こうに気配を感じるが、風貌など
どう目を凝らしても、まったく見えない。
声音から想像すると、60歳くらいだろうか。もう少し若そうな気もするし、
もう少し上のようにも感じる。

「不器用なほうでね。ある程度仕事に脂が載ってきて、結婚して子供もできて、
　親とも同居で、私が稼がねばという意識が強すぎて、それが家族に対しての
　意識を頑なにさせ、また、目の前の仕事をこなすのに精一杯で、他のことに頭が
　一切回らなくなってしまってね」

「…。そうでしたか。」

「そんなことで、気が付いたら、10年、20年と、あっという間に過ぎていましたよ」

そのことで何か取り返しの付かない状況になってしまったんだろうか…。

「でもね、遅い、なんてことは、ないんですよ。
　家族は、待っていてくれたんですね。
　仕事の大きなトラブルに見舞われて、会社を辞めざるを得ないような状況になったその日、
　ちょうどクリスマスイブだったのです」

（「今日もクリスマスイブですね…。」）

「それまで午前様以外、帰宅したことなどなかった私ですが、夕方に会社を出ると
　駅前がクリスマスセールで賑わっていて、目に止まったクリスマスのホールケーキを
　買って、帰宅したのです」

暗闇の中で、男性の声は、なんとも心地よい声音で、
まるで何かの物語を読み聞かせて貰っているような暖かさと心地よさに
僕はいつしか包まれていた。

「ただいま、の一言すら声を掛けて家に入ったことなどなかった私なのです。

　それが、あり得ない早い時間に家の玄関ドアを開け、フロアに上がったら、
　最初、その突然の夕方の帰宅に、家族はみな、驚き戸惑っていたように見えましたが、
　私の手にクリスマスケーキがあるのを目にした途端、

　＜パパ！お帰りなさい、クリスマスケーキを買ってきてくれたんですね！
　　嬉しい！みんなで食べましょう！＞

　家の中がパッと明るくなった気がしましてね、思わずこみ上げるものがあり、
　そのときに、気がついたんです。私は、これまで、何をしていたのだろう、と」

（「ああ…。」）

「目の前にありながら、見えていないことが、この世にはあるのだな。
　いい大人が、そのときになって初めて、そんなことを学んだのです」

（「…。」）

「そんなこと、ありますよね？」

漆黒の闇の中、男性の顔はまったく見えなかったが、確かに暖かい眼差しで
僕を見つめて微笑んだのが分かった。

「そんなときを、大切にすると、何か新しい一歩が始まるのですね」

社会人になってから、いつしか忘れていたものを、思い出したように感じた。

そうだ、今日はクリスマスだ。こんな日くらい、いつもとは違う夜を大切にしなきゃ。

この停電が終わったら、オフィスには戻らず、帰ろう。
僕にとっての、大切な人との時間のために。

暗闇の中で、ふっと男性の息遣いが聞こえたと思った次の瞬間、
すっと気配が消えて無くなった。

あ。明かりが、

 

FIN

＊上記にはあえて家族構成などを書き込みませんでした。
　ショートストーリーを読みながら皆さんの頭の中に浮かんだ人（たち）が、
　皆さんにとっての大切な人（たち）に間違いありませんね！