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ITmediaエグゼクティブ【経営者.jp企画提供】連載
ビジネス著者が語る、リーダーの仕事術!
VOL.72 出口治明さん  2011年06月02日

トレード・オフを忘れるな――長所を伸ばして、短所を直す、それは無理だ――

世の中のすべての物事はトレード・オフの関係にある。何かを選ぶことは何かを捨てることと同義であって「いいとこ取り」はできない。

何かを選ぶことは何かを捨てること

晩唐の有名な詩人、李商隠だったと思いますが、次のようなエピソードが伝えられています。行き行きて重ねて行き行く李商隠は、分かれ道に来る度に涙にむせびました。土地の人が不思議に思ってその訳を尋ねると、李商隠は「1つの道を選べばもう1つの道が選べなくなる、それが悲しくて涙が滂沱と流れるのです」と答えたそうです。この話を聞いたのは学生時代ですが、まさに、トレード・オフの真髄を述べていると思います。

世の中のすべての物事はトレード・オフの関係にあります。すなわち、何かを選ぶことは何かを捨てることと同義であって「いいとこ取り」はできないのです。わが国の財政状況がその好例です。2011年度の当初予算は総額が92兆円を超えますが(東日本大震災に対処するための補正予算でさらにこの規模は膨らみ、おそらく100兆円を超えることが確実です)、税収はわずか40兆円しかありません。社会保障費(28兆円)と地方交付税交付金等(16兆円)だけでも、軽く税収を超えてしまいます。

毎月40万円の収入しかない家計が92万円を費消しているのと同じ構造では、持続するはずがありません。誰が考えても、増税するか、(最大の支出項目である)社会保障費を抑えるかしか方法がないことは明らかです。しかも、900兆円近い膨大な借金を抱えているのですから、増税と社会保障費の見直し、この2つを組み合わせなければ解が得られないこともまた自明と言って良いでしょう。

低い税率と豊かな社会保障の両立は、まさにトレード・オフそのもので、およそ、この世の中ではあり得ないことなのです(戦後、20世紀後半の半世紀、それが可能であったのは、歴史上にも稀な高度成長が持続したという「偶然の産物」によるものです)。

なお、一部のエコノミストの中には、景気を良くすれば税収が増えるのだから増税は必要がない、と主張する人もいます。バブル期、わが国の経済が絶好調だった時の税収が60兆円であったことを想起すれば(92兆円を賄うためには、まだ32兆円不足しています)、そのような主張には何の説得力もないことがよく分かるでしょう。

また、増税の話を持ち出すと、必ず「財務省の陰謀だ」とオウム返しに叫ぶ人もいます。このような中学生の算数でも理解できるレベルの問題に、思考停止状態になるのは本当に困ったものです。

財政改革を怠ると国債の増発に頼るしか方法がありませんが、国債の本質は何でしょうか? 他の先進国ではおおむね次のように考えています。「政治の本質は税金の分配である。国債は、子どもたちが選挙権を得た時、彼らが分けるべき税金を親の世代が先食いすることであって、基本的には民主主義の正統性と相容れない。

従って、国債は非常時の手段の1つであって、財政規律を早期に回復することが必要である」と。おそらく、英国のキャメロン首相は、このような考えに従って財政改革に大鉈を振るったのでしょう。

短所を直せば長所もなくなる

トレード・オフの典型例は、社会の至る所に溢れていますが、会社の中では人事部にも巣くっています。「社員の長所を伸ばして、短所を直す。それがわが社の方針だ」などとうそぶく人事部長が皆さんの周りにいませんか? これも、およそあり得ない話です。

人の長所と短所は同じもの(もしくはコインの表と裏)であって、要はその人の個性そのものです。例えば、「自分の意見をはっきり述べる」というグローバルな長所は、わが国のような同質化圧力の強い鎖国的な社会では「ともすれば協調性に欠ける」と見なされがちです。この人に沈黙を強いたら、どうなるでしょう。

短所を直せば同時に長所もなくなってしまうのです。人は、本来、皆三角形、四角形のように尖っているのです。短所を直そうとせっせと角を削れば、小さい円になってしまいます。少しは円満になるかも知れませんが、面積(能力、個性)は間違いなく小さくなるのです。わたしは「小さい円より大きな三角、四角」の方がはるかに好ましいと思っています。

反論が出るかも知れません。「尖った人ばかりで組織運営ができるのか」と。それでは、マネジメント失格です。古い石垣を見てください。ごろごろした尖った自然石が不規則に積まれています。しかし、長い風月に耐え至って頑丈です。

現代の石垣のように、同じ形をした同じ大きさの石を積み上げれば、工事はきっと楽でしょう。しかし、同じ形をした同じ大きさの人間は、2人といないのです。人事の妙は、個性の異なった人間を上手く組み合わせて古い石垣のような組織を創り上げることにあるのです。

人間はそれほど賢い動物ではないので、頭ではトレード・オフが理解できても、なかなか行動には移せないところがあります。では、どうすればいいのか? ケース・スタディーを積み重ねることが1番です。

わたしは「タテ・ヨコ思考」と呼んでいますが、要は、まず、昔の人に教えて貰えばいいのです。すなわち、古典を読んで、昔の人がどのように考えどのように生きてきたかを学ぶべきです。

次に、世界の人に教えて貰えばいいのです。世界中を旅して、人々の生きざまを学ぶべきです。タテ(過去)・ヨコ(世界)のインプットをひたすら増やし続けることが、直感や判断力を鍛え行動力を産む唯一の方法なのです。

タテ・ヨコ思考は、ビジネスの前提となる人間とその社会を、ありのままに見る手助けをしてくれます。これらのことは、別の本(「思考軸をつくれ(英治出版)」「常識破りの思考法(日本能率協会マネジメントセンター)」)にも書きましたので、興味があればご覧ください。

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